October 09, 2006

中国のまちかど(第10章 スーパーマーケット)

 スーパーマーケットに行くようになったのは会社の事務所の中に寝室を作ったのでホテルに泊まる必要が無くなったためである。中国に行く場合、費用がかかるのが、ホテル代で、次に飛行機代である。ホテルに泊まる必要が無くなったので、おおいに節約することができるようになった。とりあえず日用雑貨を購入する必要もあり、頻繁にスーパーマーケットに行くことになった。
 中国のスーパーマーケットは実にいろいろなものが売っている。種類は日本のスーパーマーケット以上である。食料品から電化製品まで。でも日本にあって中国には無いものがあった。樹脂製のマナイタである。木は清潔でない、と思って探したが無かった。また、キッチンの水きりが無かった。生ものを入れるのに必要だと思って探したが無かったので、とりあえず。小さめのザルを買った。中国ではゴミの分別収集という習慣はない。ゴミは生ゴミも空き缶もビンもすべて一緒である。リサイクルという文化は、まだ無い。今後、環境問題も含めて、実行していく必要があると思う。逆に日本では無く中国で売っていたものがあった。洗濯板である。なんと懐かしい!!。はるか昔、母がタライに水を入れて洗濯板の上でゴシゴシ洗濯していた記憶がかすかにあるが、何十年ぶりかに見た。

私の買い物風景は次のようなものである。以前、シャツを買おうと、うろうろしていたら、おばさんが近寄ってきて、「△○×◇・・・」。「何か喋っている。意味不明・・」。何を言おうとしているかはよくわかる。おそらく「こちらにも良いのがあるよ。」とか、「これが良いのでは」といろいろ親切に教えてくれている。でも「△○×◇・・・」。そこで「私は日本人です。中国語はわからない」。最初はこのことすら通じなかった。「日本人」はカタカナで中国語の読み方にすると「リーベンレン」と書いてある。このまま言っても通じない。「リ」ではない。「リ」と「イ」の中間の発音でありカタカナでは表記できない。スーパーマーケットで買い物する場合は、日中辞典を持っていくと楽である。この前は、パジャマを買おうと思ったがどこにあるのかわからない。種類は豊富なのであるが、1種類の数が少ないので、どこにあるのかわからないときがある。そのようなときに辞典を見せれば教えてくれる。
 いくつか失敗した。ひとつは、リンゴが買えなかった。くだものが無造作にころがっているので、カゴの中にいくつか入れてレジに行った。レジの店員が何か言っている。「△○×◇・・???」、さっぱりわからない。誰か日本語をわかる人を探しに行ったようだが、なかなか戻ってこない。おかげでレジが渋滞してしまった。そこで「要らない」と言って清算を済ませた。要らないは「不要(ブーヨン)」である。次に行ったときは、こんどこそは、「リンゴを買うぞ」と思い、くだもの売り場を見ていたら、袋に入れて売り場のコーナで計って、値段を書いている。「分かった!!」 今度はさっそく袋に入れて計ってもらい、無事、買うことができた。同じように、今度は卵を買おうとした。リンゴのように計り売りしているのではと思い、回りを見たが、そのような場所はない。じゃ、と思い、またカゴに5個ほど入れてレジに持っていった。「△○×◇・・???」 またである。今回は量り売りするような場所もなかったし・・・・。また、「不要」である。次に行ったときは、値段がついていないので買えない、ということで、値段のついている卵を探した。あった!! でも少し色が変だけど、まあ、いいか、ということで無事、レジで清算を済ませた。でもこれは生卵ではなかった。「ピータン」であった。したがって未だに生卵を買えないでいる。今度、中国行ったときは、必ず買ってやろう、と思っている。
あとは、いつものことではあるけれど、いつもレジで止まる。何もなくてもである。いつも、話しかけられる。「△○×◇・・・」、「何か文句があるのか、」と日本語で言ってもわけがわからない。最近、少し分かった、「小銭がないか」と言っているようである。ポケットから小銭を手の平に出すと必要なお金を持って行ってくれる。
このようなトラブルは日常的だけど楽しい。ドキドキする場面も多いが分かるとうれしいものである。いつも「まあ、何とかなるさ」ということで、分からなくても、まずは実行してみる。

ちなみに日本のアルコール類はアサヒビールがスーパーマーケットで売っている。純生である。中国のビールもいくつもあるけど、すべて純生である。何か変。
もうひとつ、おもしろい話。スーパーマーケットは中国語で、「超市」、でも英語では「Ultra market」と書いてあったように思う。日本はSuperで、中国はUltraである。負けた!!?

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文章中のスーパーとは違います。果物のスーパー

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中国のまちかど(第9章 中国語)

第9章 中国語

2005年6月、いきなりの中国出張である。中国語を勉強している時間もなかったし、そう簡単に勉強できるものでもない。中国人同士の会話は全く理解できない。現在、5回ほど、延べ日数では40日程度中国に出張したが未だにさっぱりである。中国語の表記にピンインというのがある。ローマ字と記号による発音とイントネーションを表したものである。これを全部覚えれば発音の仕方はわかる。意味も漢字なのでほぼ理解できる。でも全く逆があったり意味が違うものがあるので注意する必要がある。たとえば、日本語の歩くは「走」だし、手紙と書くと「ティッシュペーパー」のこと、日本の手紙は中国語では「信」である。
中国語のピンインの種類は多くないので覚えるにはそんなに時間はかからないと思う。でもピンインが分かっても実行するのは容易ではない。日本語には無い発音がある。というより、発音の仕方が日本語と中国語では全くちがう。中国語の発音は、唇、舌の位置と形が重要である。日本語はそんなことは関係なく発音するので楽である。英語でrとlの発音の違い以上で中国語ではすべての言葉にこのことがある。これを確実に習得するには小さいころから覚えないと発音できないといくつかの本にも書いてあった。中国人の中でもきれいに発音できない人もいるとのことである。だから相当の努力を要する。現在、中国語教室に毎週、土曜日に通っている。中国語を覚えようとしているのは、中国でのビジネスのためではあるが、それよりももっと町を歩いている人と普通に会話ができて中国の人の気持ちを知ることができれば、どんなに楽しいだろう、と思うからである。

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中国のまちかど(第8章 カラオケ)

 仕事で付き合っているお客さんとホテルの地下にあるカラオケに行った。中国のカラオケは日本とは全然違ってフィリピンパブのようである。(普通のカラオケもあるらしいが)。10人くらい座れるソファがある部屋がいくつかあるようだ。入るとすぐに若い女性が、20人くらい団体で押し寄せてきた。ソファの前に並んだ。何事だと思ったら「指名をしろ」ということで、ちょっと小太りの女性を指名した。生まれは北のほうだとか。みんな若い。平均年齢は20才くらいだと思われる。
少しおぼえた片言の中国語で話しかけるのだが全く通じない。相手の答えは「チンプドン(わからない)」である。しょうがないのでカラオケでもと、日本の曲も演歌を中心にそろっている。だから中国のカラオケに行ってもそれなりに楽しめる。でも回りが全部、中国人の中で日本の歌を歌っても誰も関心を持たない。一人浮き上がってしまう。だから中国の歌のカラオケを練習しようと思い、最近、やっと2曲くらい覚えた。このようなカラオケはもともと外国人だとか、お金持ちが相手なのか、相当に高いし、チップも要求される。そう、何度も行けるものではない。いずれにしろ言葉がわからないのでは、全然、おもしろくない。今度行くときのためにも、中国語をしっかり、勉強しよう~と!!(動機が不純かも!!)

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中国のまちかど(第7章 ホテルの朝食)

 朝食はどこのホテルでもバイキングである。私が泊まったホテルは100元(\1500)であり、外の食堂で食べることを考えれば5倍くらい割高である。洋食、中華料理、日本料理などが置いてある。洋食は、パンや、ハム、コーヒーなどもあるので、私は,主にこれらを中心に食べていた。フルーツもいろいろある。不思議に思ったのはスイカである。いつ来てもある。夏でも冬でも。日本では夏にスイカを食べるのが普通である。日本でも冬にスイカも売っているがものすごく高いと思う。しかし中国のホテルに泊まっているとスイカに関しては季節感が感じられない。よほど中国人はスイカが好きなんだ、と思う。
 レストランの一角では目玉焼きを焼いている。特別なものではない。新鮮さをアピールしているのかもしれない。中国では生卵を食べる習慣がは無いように思う。町を歩いていると卵を専門に扱っている店を何件も見かけるが、山積みされた卵を見ると、いつのものかわからない。生で食べるのは危険な感じがする。
 ホテルの朝食で一番充実しているのが中華料理である。中華料理はいろいろなものがある。特におかゆが常食になっているようで、いろいろな種類のおかゆがある。他にマントウといわれる、小麦粉を練って蒸したものや何種類かスープがあった。独特のにおいがするので少し慣れるまで時間がかかる。慣れれば結構、おいしい。日本料理はカッパ巻きがあったり、サシミがあったりする。サシミは新鮮とは思えないのでさすがに食べなかったが。味噌汁やオシンコや焼き魚などは無い。中国に行くときははインスタントの味噌汁や、梅干持っていくことをお薦めする。普段、日本でも梅干はあまり食べないが長くいると梅干も食べたくなるものである。

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September 24, 2006

中国のまちかど(第6章 中国語で紹介)

中国是大国家。
全国的面积是九百六十万平方公里。
是日本的二十六倍。
人口是十三亿人。
是日本的十倍。
世界的人们的五个人中一个人是中国人。
在中国有很多平原。
长的河流也很多。
火山很少。
我多次去过北京。
北京的面积是一万六千八百平方公里。
和日本的四国相同。
北京的人口是千五百万人。
中国的印象什么都大。
北京的楼很大。
道路也很大。
有单侧五行车线。
街道上人总是很多。
北京有四个季节。
春天刮起强大沙尘的风。
夏天非常热。有时超出四十度的。

秋天是心情非常好季节。
街道的红叶也很漂亮。
这个天气好像筑波市。
冬天非常冷。有零下二十度的。
通过一年,雨很少。

北京的街道,平时白的、除了秋天。
由致词在下次说明理由。

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August 14, 2006

中国のまちかど(第5章 ホテルの施設)

1.土産物店
 1階のロビーには土産物店がある。日本の観光旅館のような雑多なものではなく、工芸品専門店とか、1件程度である。もともと中国は値切るのが普通らしく、とにかく徹底的に値切ってみる。それを実践したら半額以下になった。値切るのに中国語は不要である。値札がついているので、まず、半額の値段を言ってみる。言えなければ店員が電卓を持ってくるので、それを借りてそこに入力し、それを見せる。私は関西に近い生まれなので値切ることに全く抵抗感はないので徹底的にやる。これがまた、たのしい。別の章で記述するが、スーパーだけはさすがに値切れないが、デパートは値切れる。まじめに買うのは損するので、まずは値切ることを実践しよう。変なプライドは捨てよう!!。中国人から見ると日本人のプライドは、おそらく理解できない。

2.アスレチック施設
 大きなホテルにはほぼ確実にある。プール、ボーリング場、マッサージなどである。マッサージは若い女性や男性がいて、結構、きついのだが、体が楽になるので、お進めである。気を付けた方が良いのは、大きなホテルでも部屋に呼ぶと「3万円!!」と言ってくるマッサージ嬢もいる。いろんな意味で危ないので、マッサージ嬢をチェンジするように要求すべきである。中国にいると日本語を聞くことは、ほとんどないが、お金をもうけようとする場所、例えば故宮での路上でのガイドブックの押し売りが「1000円。1000円!!」と言って来る。空港では日本語で表示された商品が売っている。日本人はお金もちでお金を多く使うという雰囲気があるのかもしれない。

3.レストラン
概ね、大きな高級レストランがある。まあまあである。ちょっと高いが安心して食べられる。中国の食事風景は別に記述する。

4.カラオケ
日本のフィリピンパブのようである。別に記述する。

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中国のまちかど(第4章 ホテルからのインターネット)

 インターネットが使える環境はどこのホテルでも完備している。概ね、日本にいるときと同じ感覚で使える。速度も遅くない。ただ、日本とVPN接続しようとしたらうまく接続できなかった。どこかで制限しているかもしれない。
中国のインターネットに関してアメリカを中心にいろいろな問題が起きているが、使う分には関係なく、快適に使える。ただ、見れないHPがある。最初に行ったときは私のHPが見れなかった。最近は見られるが掲示板はだめである。これも統一した基準で制限をかけているのかと思ったら。そうでもない。地域によって違うようである。中国の
プロバイダによってバラツキがあるようだ。
 ホテルのインターネットは有線LANで、ケーブルを接続するとログイン画面が出る。ここでユーザIDとパスワードを入れるどこかのプロバイダの画面が出る。あとは普通に使える。ユーザIDは部屋番号が多い。パスワードはフロントで教えてもらう。もちろん有料である。時間制もあるが一定時間越えれば一緒なので、私の場合はつなぎぱなっしにしておく。
 私は、日本との連絡は、パソコンで通話ができるSkypeを使っている。一度、パソコンを持って行かなかったとき、自宅に国際電話をかけたら4,500円もかかった。たった、3分程度なのに。
話が脱線するが、Skypeは便利である。パソコンどうしの通話はただであるが、Skypeoutという機能で、一般の電話にでもかけることができる。これはクレジットで、一定額を払う必要があるが、1年以上前に1000円程度のクレジットを購入したがほとんど減っていない。日本から中国に電話するのも一緒である。子供のパソコにもSkypが入れてあるので、家で子供がパソコンを立ち上げていると、会社にいても中国にいても「勉強しろ!!」とチャットを送ることもできるし、私の方にはビデオカメラが付いているので、北京の街の風景もリアルタイムに送ることもできる。さらに脱線するが、最近、日本ではWinnyによる情報漏洩が問題になっているが、Skypeも同じ扱いをしていて使用禁止にしている企業がある。ちょっと違うのではと、思う。想像するとたとえば、ファイル転送によるウイルスの侵入を恐れているのだとは思うが、パソコンにセキュリティソフトが入っていれば全く問題ないと思う。電話代を考えればものすごいコストダウンになるのだが。ただし、Skypeには、ちょっとした問題もある。ネットワークの負荷が高いとチャットは問題ないが、音声は途切れることがある。ここは少しがまんが必要である。最近はパソコン側にも電話番号をとって、一般の電話からも接続できるようである。
 ひとつ注意があって、中国では電話をかけた方も受けた方も両者が電話代を払う。Skype の発信側が関係ないが、Skypeで一般電話にかけると受けた方は電話代を払うことになる。だから、友達だからといっても、むやみに電話するのも考えた方がよい。

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中国のまちかど(第3章 ホテルのTV)

 中国のテレビは、ケーブルTVで60チャンネルくらいある。でも日本語放送は1チャンネルだけである。
NHKの海外向け放送である。これは大変つまらない。ニュースでスポーツを放送するときも、プレイするシーンは放送されない。著作権の問題があるとかで見ていてもつまらない。でも日本の文化がよくわかる。中国人や欧米人向けに放送しているのだろうと思うのだが英語で放送がある。例えば相撲の土俵にある、縄の名前とか、屋根があるが4角にぶら下がっている房の名前とか。そのことを日本人だって知っている人はほとんどいないだろう。考え方の相違があるかもしれないけれど日本を紹介するのなら、もっとほかに放送するものがあるだろう、と思う。このテレビを見ているとNHKがやる気があるとはとても思えない。「いやならやめたら」と言いたくなる内容である。あとは海外情報とかをしつこく放送する。内容は鳥インフルエンザの注意事項や、紛争地域の立ち入り注意といった内容である。このような内容は中国向けだけかもしれないが、なんとかしてほしいものである。
  他のチャンネルは、時代劇や京劇、歌番組等で、中国語がわかればおもしろそうなチャンネルがある。早く中国語を勉強しなくては!!
 CMはおもしろい。多く流れているのは、美容や健康に関するものが多い。胸が大きくなるとか、痩せるとか、最近の日本のテレビショッピングを思わせる内容である。見方によればいかがわしい内容であるが、毎日、これを見ていると普通になってしまう。余談であるが日本のほとんどの化粧品メーカは中国でがんばっている。中国でも女性心理は同じで、給料の何割も化粧品を買うそうである。人口を考えればビッグな市場ではある。
 余談であるが、テレビはおもしろくないので、USENの番組でも見ようと、ホテルでユーザ登録をして、さあ、見ようと思ったら配信できないとのメッセージが出て見れなかった。よほど、中国は著作権のことを気にしているのが、再度、実感した。町には海賊版のDVDが普通に売っているので、無理もないかも知れないけど。

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中国のまちかど(第2章 ホテルの部屋)

 中国は北京と武漢に行った。泊まったホテルは4つ星が中心であったが、何回かは5つ星のホテルにも泊まった。 
 中国のホテルは概ね立派で設備も整っている。日本のビジネスホテルとは全くちがう。一流ホテルである。一泊7,000円から10,000円くらいである。3つ星だと3,000円くらいで宿泊できると思うが。中国の物価から考えればすごく高い。北京の一般の人の月収は多い人でも30,000円程度なので物価から考えれば当然かもしれないが。しかし宿泊者は中国人が多く8割程度だと思われる。この人たちは特別な立場の人であって、一般の人は一生のうちに一回も泊まることがないと思われる。中国人以外には英語圏からの宿泊者が多い。日本人はほとんど会うことはなかった。一度、朝、団体に会ったことがある。旅行会社が企画したツアーだと思うが。国内の観光地でよく見るいつもの日本人の姿であった。ホテルの前に2台の大型の観光バスが止まっていてロビーで多くの人が固まっていた。
 ホテルはシングル利用だがダブルベッドが二つあるか、特大のダブルベッドである。これは寝るときには楽である。部屋の浴室と洗面所は同じ場所にあるが、いろいろなものが置いてある。タオルやシャンプーとかは当たり前だが下着や避妊器具まで。良く見ると値札がついているので有料のようである。バスタブは大きく足を延ばせるが、日本のように深くないので、風呂の中で「極楽、極楽!!」という気分にはなれない。
トイレを使うときは注意する必要がある。 トイレは西洋式の物であるが、水を流すパイプが細く、トイレットペーパーを多く使うとすぐに詰まる。二回に分けて流すとかの工夫が必要である。詰まるとやっかいである。一回、詰まったことがあって結構、説明するのが大変だった。ドアを開けるとベッドメーキングのおばさ人が廊下にいたので日本語で話しかけると「チンブドン(わからない)」と言われる。英単語を羅列すると理解してくれた。これはちょっと感動である。フロントでも英語がなかなか通じないのに、ベッドメーキングのおばさんは知っている。後述するマッサージ嬢は、変な言葉だけ、少し日本語がわかる人がいる。
 他にテレビと冷蔵庫、仕事ができる机がある。冷蔵庫は中国産のビールやハイネケン、バドワイザーが入っている。日本のビールはアサヒ本生がスーパーで買えるが冷蔵庫に入っていない。まあまあ、快適に過ごせる。しかし、手抜きが時々ある。インターネットが使えなかったり湯が出なかったりすることもある。全体的に作業手順やル
ールが確立していないような気がする。ISO9000の認証はとれないだろう。そのときはフロントに文句を言いたい放題、言った方がよい。よほど対応が悪いときは1泊分の宿泊費を払わないとか、文句を言えば可能である。
 中国のホテルではチップは不要である。でもフロントにタクシーで降りるとボーイが親切に荷物を降ろしてくれて、部屋まで荷物を運んでくれる。荷物を部屋に入れた後、何か言いたそうにドアの前で待っている。おそらくチップがほしいのである。ここで「シェシェ」と言えば出ていく。今までチップを渡したことはないが、気持ち、10元(150円)くらいは渡してもよいのかも。

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July 09, 2006

中国のまちかど(第1章 北京は白い町)

 北京には何回来ただろうか?。去年の6月に中国を訪問してから1年程度なのに何回も北京に来た。
 会社の12階の窓から見る北京の町は、いつ来てもモヤがかかっていて白い。北の方に高層ビル群が霞んで見える。前日の夜の便で着いた恋人どうしが、初めて迎えた北京の朝、ホテルの窓から朝モヤがかかった町を見て「北京の朝はロマンチックだ」と言っている姿を容易に想像できる。しかし、それは昼になっても、夜になっても1日中、朝モヤは消えないのである。ただ、物は見方だが夜はモヤの中にネオンが見え、幻想的と言えば幻想的である。長江の上流で見たモヤのかかった墨絵のような渓谷での感動に比べれば大したことはないが。
 それでも2005年の晩秋にきたとき、初めて北京で青空を見た。感動した。日本では青空はいつも見れるが、北京ではめずらしい。
 白く見える理由は大気汚染や黄砂のせいだろう。中国は急速に発展しつつある。町中、いたるところでビルを立てたり、道路工事をしている。片側5車線の道路が普通にあり、そこで車が渋滞している。2008年のオリンピックに向けて開発は、さらに加速するだろう。今の北京は恐らく東京オリンピックのころの東京のようだと想像する。
 中国が京都議定書に同意したのかしないのかは知らないが、早急に、まずは車の排ガス規制をしないと健康に影響を与えるのではと心配する。そのこともあってか、大気汚染状況を、天気予報の中で放送している。
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July 02, 2006

中国のまちかど(はじめに)

最近、中国へ行く機会が多くあるので、直接、目でみたこと、中国の人から聞いたことを連載していきます。

中国に初めて行ったのは2005年の6月。訪問したのは北京と武漢。最初の印象は何でも大きいことである。町が大きい。建物が大きい。道路が広い。さらに道路は車で渋滞。歩いている人が多い。全体的には、2008年の北京オリンピックを控えているのか、活気にあふれているように見える。次のような、中国の風景について記載していく。

中国語、北京、武漢、交通戦争、タクシー、農村風景、中華料理、大学、中国の人々、テレビ、町の風景、スーパーマーケット、日本の企業・・・・・


きりがないので、いつ終わるかわかりません。(写真:建国記念日の天安門広場)

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October 06, 2004

マッチ売りの白い子猫(再掲)

はじめに
長い人生の中で強烈に印象が残っていることがいくつかある。この物語は童話のようなタイトルであるがノンフィクションである。クリスマスイブの夜から朝にかけて起こった、ちょっと寂しく悲しい物語である。

第一話 出会い
 私が27才のころのことである。まだ、独身で青春を謳歌していた。のらにわとりのように一世を風靡していた時代であった。仕事も遊びもよく頑張っていた。この頃は東京大田区の小さなアパートに住んでいた。
 この日はクリスマスイブで町は街頭にまで店を出してクリスマスケーキを売っている。JR蒲田駅前のデパートからは、クリスマスソングがかかっていて行き交う人も楽しそうである。天気はくもり空、今にも雪が降りそうな寒い日であった。この日は行きつけの赤ちょうちんで軽く一杯やって帰った。アパートへはJR蒲田駅から東急線の方の階段を降りて帰る。下にはスーパーがあって、そこにちょっとした植え込みがある。その中から猫の小さな泣き声が聞こえた。多くの人が行き交っているのに、誰も気が付かないのか、気付かないのかふりをしているのか。植え込みには生まれてまもない子猫がいた。手のひらに乗るくらいの大きさである。外は寒い。こんな寒いところで、誰が捨てたかはわからないが。「なぜ捨てるのだ!!」

第二話 帰路
 かわいそうにとコートの懐に子猫を抱いてアパートに向かった。普通、生まれたときは割りと太っているものなのだがやせていた。骨と皮の状態であった。帰っても何も食べる物が無いので、ミルクでもやろうと思い、帰り道でコンビ二に寄った。子猫を中に入れるわけにもいかないので外の歩道においた。「ちょっと待っていろ」と言って。中に入ってミルクを探していたところ、入り口あたりでさわぎが起こっている。コンビ二の中で「ニャアーニャアー」と泣き声が聞こえる。私を親だと勘違いして後を付いてきたようである。店の中には何人ものお客さんがいた。「どうしたの。かわいそうに!!」という何人かの声が聞こえた。「かわいそうだったら捨てるなよ!!」と心の中でつぶやきながら「あ~連れて帰りますから」と明るく言った。口先だけで誰も連れて帰ってやろう、という人はいなかった。回りの人が偽善者に見えた。ストロボのフラッシュが点滅するたびに、偽善者の人間の顔と本音の鬼の顔が交互に入れ変わるのだ。

第三話 アパート
 アパートに連れて帰って暖房を入れた。何しろ4畳半で、高性能ガス暖房機なので部屋の中は1分もしないうちに暖かくなった。お腹が空いているだろうと思い、皿にミルクを入れてやった。ゆっくりと飲み始めた。「これで元気になるかなあ」と思って見ていたが、そのうち皿に口を付けたまま、意識がなくなってしまった。頭を触ってやると意識が戻り、また、ゆっくりとミルクを飲み始める。何回かやっているうちに起きなくなってしまった。疲れきって眠ってしまったのかもしれない。
次の朝、起きると子猫は冷たくなっていた。「おまえ、何で死んだふりしてんだよう!!」と声をかけたが生き返ることはなかった。昨日まで最後の力を振り絞って頑張っていたのかも知れない。ようやく安心したのだろう。心なしか安らかな顔をして眠っているようだ。部屋の中は暖かく快適である。
 子猫は冬の寒い街頭でマッチ売りの少女がマッチを売っていたように「マッチを買ってください」と訴えていたように思えた。

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September 30, 2004

チーコ

はじめに
 7月6日は愛犬チーコの命日である。チーコは体重が30Kg以上もあるコリー犬であった。公園で散歩中に侵入してきた車にはねられ脊髄を損傷した。これが原因で下半身不随となった。それでもママの作った手製のくるまいすで元気に走り回っていた。くるまいすをがらがら音を立てながら走り回っているチーコは、家の横にある駄菓子屋、ひがのやにあそびに来る近所のおばさんたち、小中学生の人気者であった。最後は骨肉種で前足を切断し、最後は肺がんで亡くなった。チーコの姿を見て私自身ずいぶん励まされた。チーコと接した多くの人の励ましになったと思う。チーコも多くの人たちに愛され幸せな一生を送った。
 今、人の心はノコギリの刃のようである。それも年々研ぎすまされていく。触ると怪我をするような社会だ。でも人って本当はやさしい!!。怪我をするような社会ではなく真綿に包まれたような暖かい社会にしたい!!。体が不自由でも精一杯、生きたチーコのように元気に力強く生きていこうよ。
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なお、この原稿は、こだわりの家庭菜園はたけものがたりにもアップしています。


1.自己紹介
2.交通事故
3.四輪くるまいす
4.おむつ
5.おはよう
6.おかえり
7.ひがのや
8.毎日の散歩
9.友達のしろ
10.夏の夕涼み
11.どうほう公園
12.骨肉腫
13.床擦れ
14.肺ガンから永遠に

第一話 自己紹介
 私とチーコとの出会いは結婚した後であった。1988年、昭和63年でソウルオリンピックの開催やドラクエ3が発売された年である。このときママの飼っていた犬がチーコであった。すでに下半身不随の状態であった。チーコのことは結婚する前から多少は知っていた。チーコの方もすぐに受け入れてくれたようである。チーコは感情豊かな犬であった。うれしいときも悲しいときもそれを訴えようとよく鳴いた。普通、犬はしっぽを振ってうれしいことを表現する。今、飼っているモグもそうである。ゴマはしっぽは振らないがうれしいと飛びついてじゃれてくる。チーコもうれしいときにはしっぽを振っていたのかもしれない。でもしっぽは動かない。一緒に遊びたかっただろう。家の中でふとんの上に横たわっていても前足だけバタバタさせていた。その結果、1回転してしまうこともよくあった。この頃は結構よくじゃれた。若くて遊び盛りの時期だったのかも知れない。チーコは純粋のコリー犬だ。だから相当大きい。体長1メートル、体重も30Kg以上はあったと思う。チーコは実は雄犬だった。なぜチーコと呼んでいたのかはよくわからない。本名は知らない。いつの頃かチーコと呼んでいた。チーコの世話の大半をママがしていた。私は散歩係で週末の休みにはチーコを連れてよく散歩したものである。世話をするにも何しろ重いので大変なのである。ママが腰が痛いとか腕が痛いとか、よく言っていたように思う。これを見かねて、近所の人からも「保健所に持って行ったら!!」との声もよく聞こえてきた。チーコの姿を見ているととてもそのようなことは考えられなかった。ママと私にとって最初の子供だったと思っている。それも一番、手のかかる子供だった。

第二話 交通事故
 私の住んでいるところは茨城県つくば市、筑波研究学園都市で有名なところである。北にはがまの油売りで有名な筑波山がある。筑波研究学園都市は1963年に閣議決定され、1980年に予定していた研究機関の移転が完了した。1985年には筑波万博が開催された。筑波研究学園都市は人工的に造られた街である。現在は大半が独立行政法人になったが、多くの国立系の研究所が集まっている。現在、研究者は2万人弱。10人いたら2人は研究者である。「犬もあるけば研究者に当たる」のである。外国からの研究者や研修に来ている人も多い。筑波研究学園都市には東大通り(ひがしおおどおり)と西大通り(にしおおどおり)というおおきな通りが平行して走り、それを挟んで多くの研究所がある。中心街では片側4車線、両側には5メートルくらいの植木を植えた歩道がある。「日本の道百選」にも選ばれている。公園も多数ある。最大の公園が洞峰(どうほう)公園である。この中には1年中泳げる50メートルの温水プール、テニスコート、野球のグランド、体育館等がある。真ん中には大きな池があり鯉が一杯いる。この前の鯉ヘルペスで死んだという話は聞いたことがないので、まだ多数いるはずである。
 この洞峰公園からチーコの長い物語りが始まる。1987年の秋、イチョウの葉が黄色くなり、散歩にきた人がギンナンを拾っている風景が見られる頃、ママ(このときはまだそうではなかったが)がチーコを連れて散歩をしていた。池の回りには晩秋が漂っている。多くの人が散歩している。こども連れの家族、仲良く池のほとりで愛を語り合っている二人。のどかで平和な風景である。池の回りを一周している道を中心に四方八方からこの道につながる細い道がある。事故はこの交差する道で起きた。池の回りを散歩中、細い道から突然、軽四トラックが出てきた。これにチーコがぶつかった。見たときはそんなに激しくぶつかったわけでもないので大したことはないと見えた。外傷もなかった。でも立てなくなってしまった。立とうともがいているが立てないのである。軽四の荷台に乗せて自分の車まで運んだ。そのまま獣医に連れて行った。診断の結果は脊髄を損傷しているとか。「切れているのなら繋ぐ手術をお願いします。」とお願いしたが「人間の手術でもそこまではできていない。」とこと。止む無く家に連れて帰ってふとんの上に寝かせた。チーコは下半身付随になったが至って元気である。自由には動けなくなったが、前足だけで動くものだから、ふとんの上をぐるぐる回ってしまうのである。体が向こうを向いていて、振り返ってワンワン鳴いているときは、なんだか笑えた。「お前、どっち向いてねん」

第三話 四輪くるまいす
 脊髄損傷で下半身付随になったけれどチーコはいたって元気である。これを見ていたママは車いすを作ろうと思った。車いすは下半身を支えるために、箱に車輪を付けたものである。この頃、やはり交通事故で下半身付随になった中型犬が二輪の車いすで元気に生きている犬の姿を書いた本がベストセラーとなっていた。チーコの場合は最初から四輪で発想した。二輪ではとても支え切れない。最初はホームセンターに行って木と直径3cmくらいの車輪を買ってきた。これで車いすを作った。かくして四輪くるまいすのデビューである。ところが少しだけは持つのであるがすぐに壊れる。耐久性に問題があった。接合部に相当の負荷がかかる。それはそうである。久しぶりに外を歩けるようになったので外をはしゃぎまわるものだから。車いすの音が聞こえなくなったと思ったら、バラバラになった車いすと、チーコが前足で頭を上げてワンワン鳴いているのである。
 バージョン2の製作にとりかかる。土台の部分は太い木で座る部分は直径3cm程度のアルミパイプに変えた。接合部分は専用の金具があり、しっかり固定した。これで耐久性も向上した。でも別の問題が発生した。車輪の直径が3cm程度と小さかったために、ちょっとした石ころにも引っ掛かって進めなくなるのである。散歩に行くと後ろをガラガラ音を立てて付いて来るのだが、音がしなくなったと思って後ろを向くと後方で止まっているのである。5cmくらいの石ころに引っ掛かって。
 バージョン3の製作にとりかかる。車輪の直径を15cm程度と大きなものにした。この車輪はおばあさんが押して歩いているシルバーカーの車輪である。これでほぼ完成した。まだ少し問題があったが、これは後の文章で触れる。
 かくして寝たきりだったチーコは外を自由に歩けるようになった。このときはよほどうれしかっただろう。庭中走り回っておおさわぎであった。
(写真はバージョン3。前からでよく見えないがアルミパイプが見える。)
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第四話 おむつ
 車いすで元気に走り回っているチーコを日常的に見ることができた。大した問題でもなかったが下半身付随になったものだから、オシッコとウンチの世話もしてやらなければならなくなった。幸いにして脊髄だけがだめになっているのだけで、オシッコもウンチも自分の筋肉でできた。くるまいすにはおむつをして乗せた。おむつは大人用のものが大量に買い込んであった。1階の廊下はおむつが積み上げてあって通れなかった。おそらくママがバーゲンセールで安く売っていたのをまとめ買いしたのだろう。
 散歩していないときのチーコは1階のリビングの端っこで4畳半くらいを占有してゴロと寝ていた。それでも元気で、遊んでほしいときは、ワンワンよく鳴いていた。寝ているところには、毛布を引いてあって、その上に新聞紙を何枚も引いてあった。このときの家族はママと1才の長女と私とチーコであった。週末の夕方には三人と一匹でテレビを見る一家団欒のひとときがあった。チーコは部屋の中にいるときは、おむつはしていない。オシッコやウンチをしたときは下に引いてある新聞紙を丸めて捨てるのである。部屋の中でオシッコやウンチをするので、部屋の中がくさくなるように思えがちだが、小まめに世話をしていたのでそうでもなかった。でもウンチをしたときは、すぐに分かった。チーコが静かなのである。「チーコどうした!!Iと声を欠けると首をかしげるのである。そのうち「くっさ~」という誰かの声が聞こえる。それもでかい。1kgはあったのでないかと思う。おもしろいこともわかった。ドッグフードの種類によってにおいがちがうのである。でもくさいのはくさい。良いにおいがするウンチがでるドッグフードがあると良いのだけれど。これは特許になるかもしれない。でも会社で申請するわけにもいかない。「良いにおいのウンチが出るドッグフードの製造方法について」って。会社を通じて申請すると「お前、あほか」で終わりである。
写真は、長女とチーコ
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第五話 おはよう
 朝、起きるとあいさつをしてくれた。ワンワン、おはよう!!。今、家にいるゴマは起きる前からあいさつしてくれる。5時ころになると「ワンワン(おはよう)」とうるさいのである。それも鳴くだけでなくて、みんな寝ている部屋のふすまを足でガリガリするものだから、ふすまがボロボロである。
 チーコは動けないので、朝、起きてそばにいくと前足をバタバタさせて朝のあいさつをする。確実にウンコがしてある。いつ見てもでかい。健康な証拠である。
 今の家を立てているときは家の横にあるプレハブを仮住まいとしていた時期があった。6畳一間でママと私とチーコが同居していたのである。せまいことせまいこと、チーコが半分場所を取っていた。ここの「おはよう」は大変であった。朝、臭い匂いが目覚まし変わりである。左にチーコがいて、真ん中が私で、右側がママである。チーコも寝返りを打ちたいのか、前足でグルっと回るのである。だから朝起きるとチーコの尻が私の目の前にあることもよくあった。そこにウンチが・・・・。寝ていられる訳がない。一気に外に飛び出して深呼吸。「死ぬかと思った!!」。
それも一カ月ほどで新宅が完成したのでそちらに移った。

第六話 おかえり
 当時は会社は千葉県の幕張にあった。会社への出勤は近くのJRの駅前に駐車場を借りて駅まで自家用車通勤していた。このころは忙しかった。最終の電車で帰ってくるので家に帰るのが1時というのが日常的であった。不足する睡眠時間は移動中にとっていた。
 チーコは車の音をしっかり憶えているのだろう、夜中の1時だというのに車を車庫に入れる前から、ワンワン、おかえり!!と鳴いている。幸いにしてこの辺では、犬を飼っている家が7割くらい。だからいつもどこかの犬が鳴いているので、別に誰からも文句は言われない。家族はみんな熟睡中である。誰も起きていない。朝の5時過ぎに起きてこの時間まで毎日、続けていたら、とても体が持たないので「先に寝てていいよ!!」と言ってあった。忘れていたが、私がママの住んでいるつくば市に引っ越しをしてきた。だから隣近所はママの昔からの知り合いである。このころよく言われたらしい。「あんたとこのお父さん、何してんの。朝一番で出掛けて行って深夜帰ってくる。」なんか悪いことでもしているような感じに聞こえた。このころは人工衛星の追跡管制システム」の開発で忙しかったのだ。
 家の中に入ると豆球だけ点けた薄暗い部屋でチーコが待っている。毎日、毎日、飽きもせずに、いつもものすごくうれしいようである。前足をバタバタさせて「早くこっちにきてくれ!!」とさわいでいる。明かりを付けて冷蔵庫から、ビールを取り出してチーコの頭を撫ぜながら話をする「今日はどこに散歩にいったんや」とか「今日は何もなかったか」とか。チーコはその都度、ワンとか、クゥ~ンとか、いちいち返事をするのである。分かっているのか分かっていないのかはよく分からない。チーコは氷をガリガリ、音立てて食べるのが好きである。ビールを飲みながらチーコには氷をやる。元気に音を立てて食べている。「お休み!!」と行って、頭をなでてやると「フ~」と言って持ち上げていた頭を横にして睡眠モードに入る。この状況が毎日の「おかえり」のパターンである。


第七話 ひがのや
 ひがのやは、今まで何度か登場しているが、ここもチーコの遊び場である。平日は近所のおばあさんの憩いの場を、土曜日、日曜日は小中学校の生徒のたまり場である。小中学生の自転車が道路一杯に広がって、車が通れない状況になる。もっともこの道はあまり車も通らないので大した問題でもないのだけれど。
 おばあさんには「お~チーコ元気だったか」とを頭撫でてもらったり、憩いの団欒の場で食べていたものをもらったりして。小中学校の生徒とは、鬼ごっこをしたりして、ボールを投げてそれを追っかけてみたりと大騒ぎである。ここで最初に紹介した四綸くるまいすに問題が発生した。前輪は360度、行きたい方向に自由に向くが、後輪は真っすぐにしか行かないようになっている。車輪の径が大きいので道路の設置面積は少なく摩擦等の問題はないのであるが、急に方向転換しようとすると強烈なアンダーステアが出る。要は曲がれないのである。車でも同じであるが横転してしまう。これに対処するには、前輪の接地面積を大きくするか、遠心力の働く方の車体を高くし、反対側を低くするような機構が必要である。いろいろ考えたがジャイロを使って姿勢検知までしなければならないのでやめた。止む無くこどもたちに言った。「急に方向転換するな!!」、「チーコは急には曲がれない」

今も昔も変わらないひがのやです。
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第八話 毎日の散歩
 大雨の日以外は散歩が日課である。家の回りには人家が集まっているが、そこから少し離れれば畑とたんぼである。その間を農道が走っている。農道と言っても大型機械が普通なので幅5メートルくらいの鋪装道路である。以前は農薬をヘリコプターで散布するために道路にヘリコプターの着陸するためのマークもあった。さすがに現在は環境破壊につながるので、そのようなことはやっていない。
 一日一回はこの農道を散歩した。平日はママが週末は私が。車いすに乗せるときが結構大変であった。リビングの窓を空けて車いすを窓の下に置く。チーコは30kg以上あったので抱き上げれない。まず、毛布の端を引っ張って窓際までチーコを持ってきて、上半身を抱き抱え、前足を地面に付ける。その後、下半身を持ち上げ、車いすに乗せるのである。ママも腕が痛いとか、腰が痛いとか、よく言っていた。毎日の散歩の距離は4kmくらい1時間程度。車いすということもあって首輪を付けずに歩いていた。チーコが先にいくこともあるし、後からついてくることもある。先に行った場合でも待っている。後ろからついてくる場合、途中で段差で進めなくなってしまうこともある。その場合は後ろから押してやる。でも他の犬を見ると興奮するようである。朝方とか夕方は、犬を散歩している人が多い。どこの家でも犬を飼っている。犬がいない家の方がめずらしい。散歩中にもいろいろな犬とすれ違うものだから大変である。やはり犬にも一目ぼれがあるのかもしれない。チーコの一目ぼれは一杯あった。気が多いのか、浮気性なのか、きまぐれか、誰でも良いのか、よくわからないが、すれ違うときに、近よっていくか、「ワンワン!!」とあいさつをするかのどちらかである。あまりけんかをするようなことはなかったと思う。軟派のチーコであった。

第九話 友達のしろ
 散歩にいくときは近所に飼い犬である、しろが一緒だった。飼い犬と言っても放し飼いにしてあって、みんなからも可愛がられていたように思う。しろは散歩のコースを先導するように先頭を歩いていた。結構、年を取っていたように思えた。見かけはたよりない、感じの犬であったが、年をとっている分だけ気持ちのやさしい犬であった。散歩のときは、毎日、一緒に歩くのでコースも熟知していた。先頭を歩いても、時々振り返り、チーコが付いてきているかどうかを確認する。できた犬であった。年寄りのせいか、チーコと一緒におおさわぎするということではなく、少し離れたところで、いつもチーコを見守っていたように思う。
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第十話 夏の夕涼み
 真夏の暑いときは大変である。チーコはコリー犬なので、毛がふさふさとしており、真夏は家の中にいてもハア~ハア~言っている。止む無くエアコンのスイッチを入れる。日中もチーコのためのエアコンが入っている状態であった。おかげで電気代の高いこと高いこと、びっくりするような金額になってしまう。真夏日でも夕方になると、風が出てきて涼しくなることもある。そのときは、庭にビニールシートを出して夕涼みである。この写真の横では子供がビニールプールに水を入れて遊んでいたように思う。その子供も今は高校生である。
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第十一話 洞峰(どうほう)公園
 久しぶりにチーコと一緒に家族そろって洞峰公園にハイキングにいった。洞峰公園はチーコが交通事故にあって下半身付随になった公園である。チーコはおそらく憶えていないだろう。距離は家から4kmくらいで1時間くらいかけてゆっくりとガラガラ音を立てながら行った。
 公園では芝生の上にビニールシートを敷いて家で作ってきた、おにぎりとかからあげとかを、みんなで昼飯として食べた。チーコも芝生で横になっていてからあげを食べたりとうれしそうであった。
 昼食後は公園をひとまわりした。この公園は週末は、家族連れで結構にぎやかである。自然がいっぱいあるし、フィールドアスレチックもあるし、お金がかからず家族で楽しめる。その中を家族でチーコを連れて歩いた。ものめずらしいのか、結構、回りからの視線も多く集まった。また、声をかけてくれる人も多くいた。「かわいそうに、どうしたの!!」とか。中には涙を流しているおばさんもいた。何か深い事情があるのかもしれない。でも、チーコから見るとそんなことは、どうでもよくて楽しくてしょうがない、という感じで、はしゃいでいる。公園ではしゃぎすぎたこともあって、帰りはチーコも辛かったようだ。足が痛くなってきたようで、帰り道では時々立ち止まってしまう。車いすも重く感じたのだろう。車いすを後ろから押してやりながら、ゆっくりと帰路を進んだ。この日に歩いた距離は10kmくらい。毎日の散歩が4kmだから、ちょっときつかったようである。翌日も足が痛かったようで、散歩も行きたくないようであった。

第十二話 骨肉腫
 洞峰公園を散歩した疲れもなくなり、いつものように元気に散歩したり、ひがのやで遊んでいた。それから数カ月立ったころ、散歩していると左前足が痛いのか、ビッコをひくようになった。ちょっと関節が熱を持っているようだった。その後、次第に関節が腫れ上がってきて散歩もできなくなってしまった。獣医に連れていくと骨肉腫との診断であった。骨肉腫は骨の中にがん細胞が認められる病気で人間では思春期と若い成人に発生するとのことである。治療は足を切断するしかないとのこと。一旦は家に帰って、相談することにした。いつもチーコの相手してもらっていた、となり近所のおばさんたちからも、いろいろな意見を頂いた。「下半身が動かなくて前足まで切断するのはかわいそう。いっそのこと安楽死させてやった方が良いのでは」。大半の意見はこのようなものであった。でもチーコは足が痛いようだが、それ以外はいたって元気である。ママと相談した結果、前足を切断することにした。一週間程度入院して帰ってきた。左前足は関節の上からきれいになくなっていた。最初は足があるつもりで、気持ちだけは前足を出して、頭を持ち上げようとするのだがうまくいかない。それでも一週間もすると右の前足だけでうまく頭を持ち上げられるようになった。あいかわらず元気である。でも散歩にはいけなくなってしまった。せいぜい天気が良くて涼しい日には、庭にビニールシートを引いて、外の空気を吸わしてやることくらいしかできなくなった。

退院してきた直後のチーコ
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第十三話 床擦れ
 私のおじいさんが脳溢血で倒れて寝たきりになったのは40年以上前の話である。時代は池田勇人の所得倍増政策の時代。当時は入院すると言ってもまともな病院もなかったような気がする。それに貧乏だった。隣近所にはテレビがあった。うちでテレビを買ったのは東京オリンピックが終わったあとで昭和40年代になってからだったと思う。でも隣の家に行ってよく見せてもらったので、名犬ラッシーもローンレンジャもライフルマンも記憶にある。
 おじいさんはふとんに寝たきりの生活で、時々、近くのお医者さんに往診に来てもらっていた。床擦れ(とこずれ)になった。同じ姿勢でずーっと寝ていると、汗とかで皮膚が湿気を帯び、炎症を起こしてくるのである。一面、真っ赤で痛々しい。母が時々、おじいさんを、ごろ、と転がして姿勢を変えるのだが重いし、こまめにはできない。このときは介護保険もないしヘルパーさんもいなかったので、これを世話をしていた母も大変だったと思っている。
 チーコも同じようになってきた。もう散歩にもいけない。毎日、窓から外を眺めているだけの生活になってしまった。部屋の中でず~と寝ているだけの生活になってしまった。そうなると、床擦れが起きる。毛があるから大丈夫なように思うがそうではない。毛が薄くなってきて皮膚が見えてくる。上半身は元気なので、ぐるぐると動き回るので、余計に摩擦で毛がすりきれてくるのかもしれない。そのうち赤くなってきて炎症を起こす。この状況になってから、自分からは寝返りをうてないので、こまめにひっくり返してやることがママの日課になった。


第十四話 肺ガンから永遠に
 チーコは寝たきりなってからだんだん元気がなくなってきた。気持ちだけは、うれしいときはうれしいと体で一杯で表現したいのだがなかなかである。そのうち食欲もなくなってきた。のどが渇くのか、水とか氷が好きである。毎日、帰ってくる車の音を聞くと「ワンワン」とお帰りのあいさつをするのだが、それもなくなった。帰って顔を出すと上半身を上げてこちらを見ている。
 病院に連れていくと診断の結果、肺ガンと診断された。骨肉腫のガン細胞が転移したようである。肺だけではなく全身に転移しているだろうとのことであった。全体的に手遅れの感もあった。人間と同様に放射線治療とかも考えられるが、そこまでは無理である。
 7月5日の深夜に帰ってくると異常な状態であった。全身でゼイゼイと苦しそうであった。ママは寝ていたが、起こしに行った。氷が好きなので氷をやると氷を食べた。このときは、すでに運動神経の制御が利かなくなっていたのか、指を噛まれ血が出た。30分も頭をなでてやっているうちに、全身がピクッと痙攣して、息が止まった。私とママが最期を見守った。私が帰るまで生きていようとがんばっていたのかも知れない。
 わずか3年くらいの短い間ではあったが、一生懸命にチーコはがんばって生きた。多くの人に愛され多くの人に勇気を与えてきた。私とママにとっては最初のこどもだったような気がする。このことを何年も立った、こどもたちの753の会場(*)でスピーチをしたとき、事情を知っている近所の人たちの涙を誘った。翌日ペットの火葬場に運んで火葬してもらい、ペットの墓に骨を入れてきた。帰ってきて台所でママと話をしているとき、突然、ママが私の胸に顔をうずめて、声を上げて泣きだした。私も同じ気持ちであった。死んでからだいぶ、時間がたっていたが、すぐには実感がわかなかったようだ。火葬場に行って骨を墓に収めて実感がわいてきたのだろう。「生きている者はいつか死ぬんだから。チーコは幸せだった!!」と慰めながら。ママが泣いたのは知り合って、このときの1回だけである。普段のママはすごく強いし、頼もしいのである。しばらくは犬を飼わなかったが、現在はモグとゴマが元気に庭で遊んでいる。


*:茨城県の七五三:結婚式のようにホテルなどの結婚式会場を借りて近所の人を集めて盛大に行う。お色直しもあって結婚式なみの費用がかかる。

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September 28, 2004

一世を風靡したにわとり軍団(再掲)

 第一話 のらにわとり誕生
 第二話 花の芽がでなかった隣の家の庭
 第三話 二世誕生
 第四話 にわとりにもあったいじめの世界
 第五話 のらにわとり軍団との別れ
 番外編 その後の、のらにわとり軍団
 
第一話 のらにわとり誕生
 私の住んでいるところは、筑波研究学園都市で有名なつくば市である。大通り沿いは研究所や商店がぽつぽつと並んでいるが、一歩脇道にはいると、水田、畑や竹やぶといった具合で、まだまだ、自然が多いところである。
 何年か前の話になるが、わたしの家に「のらにわとり」がいたことがある。のら犬やのら猫でなく、のらにわとりである。発端は家の前の竹やぶに1羽のチャボが迷い込んできたことから始まる。うちのママは、このような場合は必ずえさをやるので、すぐに住み着いてしまう。この何にでもえさをやることで、いろんな物語りが始まってしまう。映画、ネバーエンディングストーリで、少年が古ぼけた本屋で本を開いた途端に、はじまる夢の大冒険と同じである。でも映画の場合は、本を閉じるとそこで一旦、終わってしまうが、わが家でおきる冒険は閉じられないのである。どんどん物語が進んでいく。この物語は多くあるうちのその一つである。今回は5話のシリーズで「にわとり軍団」をアップしていく。
 話が横道にそれたが、チャボが迷い込んできた頃に、つくば市で研究所一般公開があって、農林水産省の研究所でこどもがひよこを数羽、もらってきた。これが二番目のはじまりである。ひよこのためにとママがにわとり小屋をつくってやった。また、えさも買ってきて飼育を始めた。にわとりは2~3ケ月で大人になる。もらってきた時は、オスかメスか分からなかったが、このころになるとオスはトサカが立派になり、一目でオスとわかるようになってきた。メスは卵をあちこちに生んでくるので、集めに回るのが大変であった。話が逆になったがにわとりは、昼間は外に放し飼いにしてあった。オリに囲んでいるわけではなく、近所を1日中、えらそうに肩を怒らせて闊歩しているのである。にわとりにも集団心理というのがあるのかどうかわからないが、世の中、怖いものなし、って感じである。
 にわとりは、全部で6羽、オス3匹、メス3匹で、放し飼いにしておくと実にいろんなところを冒険しているようである。にわとりにも派閥がある。6羽の中に親分肌のにわとりが、2羽いて2つのグループに別れて行動している。先にきたチャボは、えさを食べるときは一緒なのだが、基本的には1匹狼で我が道をゆくというスタイルをとっている。2つの軍団は、どうどうと家の横の道を、肩で風を切って歩いているのである。お互いが道ですれ違うときは大変である。お互いに道を譲らず、けんかが始まるのである。肩をぶつけ合ってお互いつっぱっているのである。でも夜になると、一緒の鳥小屋でなかよく寝ている。そして朝になると、また、2つグループになって、外を探検をしているのである。
 これからいろんな冒険が始まる。

第二話 花の芽がでなかった隣の家の庭
 いつものように、毎日、軍団を組んで、わがもの顔で、近所を2つのグループに別れて闊歩している、にわとり軍団の姿が見られた。犬が来ようが猫が来ようが決して負けない。ひとりでは何もできないのだが、集団になると強い。当時、わが家には、交通事故で脊髄を切断して下半身付随となり、ママが作った車いすで、近所を走り回っていたコリー犬のチーコという犬と野良犬のしろがいた。彼らにも決して負けることはなかった。(チーコは後に骨肉腫にかかり前足も切断、最後は肺ガンで死亡、「五体不満足でも幸せだったチーコ(仮称)で連載予定)
 ある日、となりの家の手塚さんから「今年は花の芽がでないね。」と言っているの聞いた。ピンときた。にわとりは、何でもまずはつっついて見る。鋪装していない空き地があると、何を食べているのか分からないが、目を白黒させてしきりに何かを食べている様子だ。にわとりの内臓に砂袋というのがあるが、この中は砂で一杯である。どこかで聞いたことがあるが消化を助けるのに砂が必要だとか。そんな具合で、目にするもの全てに対してどんな味がするのか、まずはつっついて見るのである。この辺はとなり近所のつきあいも深く家の玄関はどこの家でも開けっ放しであり、だれでも自由に出入りできる。最近は米どろぼうが出没し、近所でも被害にあった人がいて、どこの家でもセンサーがついており、近付くとライトが点灯するようようになっている。話が横道にそれたが、何にでも興味を示し、まずは、つっついて見るという、にわとり軍団がとなりの手塚さんの庭に行って、花の芽が出てきたので、まずはつっついて見たところ、よほどうまかったと思われる。その年の手塚さんの庭は、花一輪すら咲かなかった。

第三話 二世誕生
 のらにわとりなのでその辺、いたるところに卵を生みまくる。家の前には手入れがいき届かない庭があって雑草が生えている。その中にも一杯、生んでいるようで、うかつに歩こうものなら、踏んずけてつぶしてしまうような状況であった。腐っているかもしれないのでうかつには食べられない。割ってみると中にはひよこの姿になっているものもあった。これがうまいと東南アジアかどこかの料理で紹介していたのを見たことがあるが、さすがに食べなかった。にわとり小屋に生んであった新鮮な卵は、市販の卵とは比べ物にならないほどうまい。黄身は市販のものは薄い黄色で薄べったいが、のらにわとりの卵は小さめではあるがオレンジ色で盛り上がっている。これでたまごかけごはんを食べると最高。この上ない幸せを感じたものである。
 前書きが長くなったが、第一話でオスとメスがいることを紹介したがオスとメスがいると、どんどんひよこが生まれるのである。にわとりにも個性があって、卵を生みっぱなしで、そのまま、ほっておくにわとりもいるし、卵を見るとそれを孵化させようとがんばるにわとりもいる。たまごを孵化させようとしたにわとりは二羽程度いたと思う。なぜなら日に日にひよこが増えてくるのである。この卵を抱いて孵化させようとがんばっているにわとりに第一話で紹介した、一匹狼のチャボがいた。にわとり小屋にずーとすわったきり、動かないのである。たまごをとろうとすると怒ってとらさせない。たまごが孵化するまですわったきりで、食事をろくにとらなかったようである。このがんばりは他のにわとりにはなく、回りから見ていると励ましてやりたいような気持ちにもなった。
要は変なにわとりなのである。でもこのように回りからどのように言われようが、がんばっている人もにわとりも好きである。そう言えば朝の6時ころから畑に行ったきり、夕方に「朝めし!!」と言って帰ってくる私も相当変かもしれない。最近、となり近所の農家から「百姓まかせ」と呼ばれている今日この頃である。
 おかげでにわとり小屋は満員状態となり、親にわとりとひよこが一緒にいると、踏んずけることにも成りかねないので、うちのママがひよこと親鳥だけを一緒に居られるように別の小屋をつくってやった。それでも悲劇はおきた。(詳細は、第4話、にわとりにもあったいじめの世界で紹介予定)ひよこは、ひととき5羽から6羽程度はいたと思う。昼間、2つグループに別れて行動する、のらにわとり軍団に、どのような基準があるのか、ひよこに聞いて見ないとわからないが、それぞれのグループに別れて、後からチョコチョコと一列になってついていくのでる。かるがもの親子のように。
第二話でも書いたが、ひよこも集団でいると強い。犬も猫も恐れない。犬を見ても猫を見てもそしらぬ顔である。もっともこのころになると、お互いの存在を尊重しているようで、どこかの新顔ののら犬が来ようものなら、コリー犬のチーコと野良犬のしろが、にわとりを守るように攻撃するのである。これを見ていたのらにわとりもよせばいいのに一緒になって攻撃するものもいた。そういえば一匹、犬に噛まれて、名誉の戦死をしたにわとりもいた。このにわとりはひよこから生まれて一ケ月程度立った若者のにわとりであった。にわとりにも血気さかんな時期があるようである。または、OJT(*1)計画の一環かもしれない。そうだとするとトレーナのミスである。死んだら何もならない。
 相変わらず近所をひよこを従えて大きな顔をして歩いているにわとり軍団が見られた。

*1 OJT(on the job training.):現場で体験しながら教育する方法。


第四話 にわとりにもあったいじめの世界
 次から次へとひよこ生まれるものだから鳥小屋は満員である。にわとりには親という自覚がないのか、ひよこだからと言ってかばうようなことはしない。生むためには一生懸命に努力するチャボがいるが、生んだあとはほったらかしである。人間にはもっと悪いのがいる。生む努力もしないで生んで育てる努力もしない、にわとり以下である。
 餌をやったときなどは大変である。にわとりの足の間から頭を出すひよこがいると、足で追い払うのである。このような状況のとき、ひよこにとって一番危険でる。にわとりが餌ばこに集まってきて、お互い、われ先にと足をバタバタさせながら食べている。その中にひよこが割り込もうものなら、踏み潰されてしまう。危険な状況なので以前にも書いたが、うちのママが大人の鳥小屋とは別の鳥小屋を作ってやったので多少危険は緩和された。えさを食べるときにこどものことを考えて、先に食べさせるようなことは、にわとりはしない。えさがなくなるまで我さきにと食べるのである。これはいじめというよりも本能だけで行動しているだけかも。
 このようなこともあった。にわとり軍団が外で歩いているときに、一匹だけ仲間に入れないようについてくるなと、来ないように反対方向に追っかけるのである。もしかして別のグループから意見が合わずに移ってきたにわとりかもしれない。よくわからないのが,本能だけで生きているだけかと思うと、このようにけんかやいじめもある。何を考えているのか、にわとりに聞けるとおもしろい。ちょっと前に犬の言葉を翻訳するおもちゃが発売されたが、にわとりのことばを翻訳できるともっとおもしろい。どっちが主流でどちらが反主流かはわからないが、どちらも社会保険を収めていないのに比べると、にわとりには社会保険を収める義務はないから罪はまだ軽い。


第五話 のらにわとり軍団との別れ
 のらにわとり軍団も誕生から2年が経過していた。このころになると派閥争いなのか、仲間われか、いじめかよくわからないが、1匹、2匹と数が減ってきた。中には飽き足りた日常から逃れて、山下清のように放浪の旅に出たにわとりもいるかも知れない。出ていったにわとりは決して帰ってくることはなかった。また、年をとったのか卵も生まなくなってしまった。病気で亡くなったにわとりもいた。鳥小屋でうずくまったまま、えさもたべなくて元気がないのである。一度に何匹も発症することはなかったので鳥インフルエンザではない。この頃になると年をとって気持ちが丸くなったのか、協調路線をとって、2つのグループも1つグループとなっていた。最初のころは元気よく、世の中、にわとり軍団のためにあるように、肩を怒らせて歩いていたが、この頃の軍団はなんだか後ろ姿が寂しげである。この中には例のチャボもいた。来たころのチャボはすごかった。家の前に竹やぶがあるのだが、夏は8メートルくらいある高さまで飛び上がり、そこでよく寝ていた。その元気もなくなったようである。軍団も3匹程度になってしまった。そろそろもっと自然に返してやろう、ということで、近くの林に離してやった。近くなので朝一番ににわとりの鳴き声が聞こえる。鳴き声を聞くことで元気に生きていることが確認できた。鳴き声も1年くらいは聞こえていたが、その後は静かになった。天寿をまっとうしたのか、のら犬やのら猫の襲われたかは、よくわからないがここで一世を風靡したのらにわとり軍団は消滅した。現在、のらにわとり軍団の名残はないが、となりの家の手塚さんの庭に多くの花が咲いているのを見ると、のらにわとり軍団を思い出すこの頃である。


番外編 その後ののらにわとり軍団

 自然に返してやったにわとりが健在だということが数カ月立ってわかった。自然に返してやった林のとなりに東郷さんのはたけがある。東郷さんのおばあさんが「野菜の種を蒔いたのに新芽が何かに食べられている。蒔いても蒔いても野菜ができない」とか。ぴーんときた。のらにわとり軍団である。東郷さんには悪いが「がんばっているな」と声をかけたいような気持ちになった。その年の東郷さんのはたけでは、いうまでもなく野菜の収穫ができなかった。 また、最近になってチャボがどこからきたのかわかった。近所にいろんなにわとりを飼っているうちがあった。たまたま家庭菜園へのいきがかり、声を掛けられた。とげのないたらの芽があるとのことで、見せてもらいに庭に入った。いろいろなにわとりがいた。その中にチャボもいた。ここから脱走したようである。
長い人生から見れば、ほんの一時だったが、楽しい時間を提供してくれた、のらにわとり軍団、ありがとう!!

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September 23, 2004

人間失格(気くばりのすすめ) 第八話

第八話 一人の黒人

 9月22日(水)6時50分、東京行きの高速バスである。いつものバスである。バスの中はわりと静かで寝ている人もあれば、本を読んでいる人もいる。高速道路に乗ってしばらくすると、いびきが聞こえてくる場合もある。でも車の音と風切り音の方が大きくてたいして気にならない。このようなバスであるが、いろいろなドラマがある。
 今日は前の席の通路側にキチンとした身なりの黒人が座っている。国連のアナン事務総長を若くしたような。窓側の席はいつも風景で荷物が置いてある。これは、まあいいのだが(最近は慣れてきた)、両方の席のリクライニングシートがいっぱいまで倒している。私は窓際に座っているが前が狭いのである。窓際の席は荷物が置いてあるだけなので倒さなくても良いと思うのだが。
 でもこの状況は一概に、この黒人に気くばりがないとは言えない。なぜかというと外国には気くばりということが存在しないかもしれない。権利と義務と主張というドライな世界かもしれない。今のアメリカなんかを見ていると、そのような気がする。要するに日本以上に弱肉強食の世界である。人の気持ちとかはわからないのではないか。わかる文化も存在しないのでは。口に出して言わない限りは。だからこの黒人にとっては当たり前の行動だろうとも思える。
 その割りにはレディファーストというのがある。これは精神の問題ではなくルールに近いのだろう。ゴルフで「ジーンズはだめ。高貴なスポーツなので」のように。何でも良いのでは。そんなルールは無くして家族で楽しめるようなスポーツにした方がよっぽど良いような気がする。ゴルフのルールはおもしろい。日本人が普通に考える気くばりがそのまま、ルールになっている部分も多い。アメリカは精神をルール化していくことで、ますます人の気持ちがわかるようなところから離れていく。
 でも日本に来ているのだから、日本の良いところとして気くばりの精神を学んでほしいものである。一方、日本人が外国に行ったときは、日本人特有の遠慮や気くばりはやめた方が良いかも知れない。おそらく理解されない、はっきり口で主張しないと。結果として損をする。このように考えると今までバスの状況も、アメリカだと思えば理解できないこともない。ますます、ドライな社会になっていくと思われるが、日本人の心は今後も継承していくべきである。

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人間失格(気くばりのすすめ) 第七話

第七話 最悪の状況になってきた。

9月18日(金)6時50分、東京行きの高速バスである。だんだんひどくなってきた。今日もいつもの竹園二丁目からバスに乗ったが、二人掛けの席に全席、一人が座っている状況である。何がひどいかというと、約、半分の人が通路側に座って、窓際に荷物をおいているのである。でもこの前のように女性ではなく、全員、男性である。後から乗ってくる人を観察していると、通路側が空いている席から順に座っていく。通路側が一杯になると窓際が空いているところで声をかけて座る。このとき通路側にいた人が窓際に移動する。「通路側が好きなんじゃないのか!!。窓際に移るのであれば最初から窓際に座れ、通路側に荷物をおかずに!!」と言いたい。相変わらず、自分だけ良ければそれで良いのである。この比率が今日のバスでは5割以上である。この親は子供にもそのいうな教育をしているのだろう。以前にも書いたが、いろいろな事件が起こるたびに思うのは親も悪いが、受験戦争に代表されるように自分さえ良ければよい社会も悪いと書いたが、単純に考えると、今日のバスでは半分の人が、悪い社会を作っていることになる。
人間として恥ずかしくないのだろうか?。おそらく恥ずかしいとかの感覚はないのだろう。なぜなら会社の中でもあいさつをしないのが普通で、「あいさつ運動」なるものを起こさなくてはならない社会である。これも以前、書いたが、最近、起こる子供の凶悪事件は、このような親に育てられた子供だと想像する。このような人に言っても理解できないだろうが、意識してでも「人間としての恥を知れ!!」。(う~ん、難しい!!)世の中、アホばっかりが目に付く今日、この頃である。通路側に座っている人、ご意見をください。

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人間失格(気くばりのすすめ) 第六話

第六話 女性2人

9月16日(水)6時30分、東京行きの高速バスである。今日は、2本早いバスに乗車した。今日はわりと礼儀正しいというか、常識のある人が多い感じである。私の前に並んでいた人が通路側の席に座るときに「空いていますか」と聞くと「どうぞ」との答えがあった。私も通路側の席に座ったが、会釈してすわると、となりの人も会釈してくれた。このような状況が1日の始まりであれば、気持ちの良いものである。
つくば市の最後のバス停留所では、ひさしびりにほぼ満員になった。空いているところは、どこかと見渡して見ると私の前と二つ前の窓際に空きがある。通路側に座っているのはいずれも女性である。
 私の前は20代の女性である。私が乗車したとき、通路側の席で化粧をしていた。女性が化粧しているところで、窓際の席にはすわりにくいものである。新手である。ふと思うのだが気持ちがやさしいとか、きくばりのできる女性は見た感じとか表情でわかるような気がする。表情が素直な感じである。その結果、美人であったり、かわいかったりするのだろう。それに比べてこのバスに乗っている女性は、一見、着飾って小ぎれいにはしているが・・・・・。このような女性と付き合う男は不幸になるであろうし、結果的には自分も不幸になるだろう。はやく、きくばりとか、やさしさとかの気持ちを分かってくれるように願うばかりでる。そうすることで彼女たちに、より幸せが訪れるだろう。

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人間失格(気くばりのすすめ) 第五話

第五話 最近の凶悪事件に思うこと

 今日のニュースで宅間死刑囚の死刑が執行されたとのニュースが流れていた。判決から異例に早い執行だとか。遺族の方が「犯人は死んでそれで終わりだけど、私たちはこれから、生きている間、この苦しみを背負って行かなければならない」と。遺族の方は犯人を殺したいと思うのは普通だし、でも死刑が執行されても、納得いかない気持ちもよくわかる。遺族の悲しい、そして苦しい気持ちを全部集めて、一生、その分の苦しみを味合わせるような刑罰がないものだろうかと思ってしまう。そうしないと遺族の気持ちも納得できないだろう。
宅間死刑囚は、遺族へのおわびの発言が結局は一言もなかったとか、「生まれて来なければ子供たちを殺さずに済んだ」と発言していた。じゃ「生まれてくるなよ!!」と言いたいところだが、これはむずかしい。「生きていることがいやなら他人に迷惑をかけずに人知れずどこかに消えろよ。」と言いたい。
 別のニュースで栃木県小山市で子供が2人殺されて、橋の上から川に投げ込まれた。弟は見つかったが、お兄ちゃんの方は見つからず、100人態勢で探すとか。むちゃくちゃな話である。
世の中、一体どうなっているのだろう!!
このような事件があるたびに思う。この犯人もこれから長い間、裁判を受けて判決を待つことになるのだろう。はっきり言って、この間にかかるお金がもったいない。凶悪事件を起こした人間の再犯率は6割とか、7割と言っていた。この犯人が死刑にならなかった場合、出所後、また犠牲者が出る可能性が高い。だったら、早く死刑の判決を出し、早く執行すべきである。そうすることで、世の中が多少、平和になる。また、死刑囚を食べさせてやる分の食費を、リストラにあって住むところがなくて墨田川の土手で、テント生活をしている多くの人に援助したらどうかと思う。私は凶悪な犯罪者の食事代のための税金を払いたくないのだが。ひとつ提案であるが、刑務所で家賃と食事代を徴収するのはどうであろうか。返済は刑務所の中で働いて稼いだ分とか、出所後、ローンで返済するとか。
世の中には子供を殺したり、年寄りからお金をだまし取ったりする悪質な輩が多くいる。このような輩は宗教や生い立ちがどうであれ、世の中から早い時期に抹殺すべきである。日本と世界の平和のために。

でもこの温床は、今まで書いてきているように、殺伐とした社会、弱肉強食で弱いものは潰される、といった現代社会にも大きな要因があることはあきらかである。

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